〈4.燐光の森へ〉

突然現れた空飛ぶバスの中に、私は勇気を出して足を踏み入れた。白く塗装された壁と、使い込まれたような柔らかい光沢を放つ床板。清潔なキャンバス地の長椅子が左右に並んでいて、鏡のように磨き上げられた手摺が大きな窓から差し込む光できらきらと輝いている。

私が乗り込むとすぐに、乗降口から下りていた階段は引き戻されて勝手にドアが閉まった。外はもの凄い暑さだったっていうのに、バスの中はひんやりとしていてとても居心地が良い。

勝手に動き出すのでは、と長椅子に腰掛けて少し待ってみたけれどバスは動き出す気配を見せず、私は立ち上がってバスの中をうろうろし始めた。うろつくといってもそんなに広いわけでもなく、二十人も乗れば満員になりそうなバスなので、すぐに変わったものを見つけることができた。

乗降口が左右に向かい合っているバスのいちばん前、大きなフロントガラスの下に、ちょっとしたカウンターテーブルのようなものがあった。その上には、左右に回転させる事が出来そうなレバーがひとつだけ取り付けられている。取っ手を握って少しだけ動かしてみると、そのレバーは左と右の両方に回せるみたいだ。

私は少しだけ考えてしまった。クレアもこれに乗ったというのは多分間違いないのだけれど、あの子はこのレバーを左右どちらに回したんだろう? もしこのレバーがバスの行く先を決めるとしたら、これは重大な決断じゃない?

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クレアの後を追うことが出来るか、逆に遠ざかるか、ふたつにひとつ。とても決められそうにない。私はポケットからテントで拾ったキャンディを取り出して、レバーの上に落とした。

こんなときに下手に考えてしまうと、悪い方へ悪い方へと物事が運んでいってしまう。偶然に頼ったほうが良いことが多いし、後で後悔することも無いんだ。

キャンディはレバーの上で一度跳ね、左側に転がった。私は運命の女神様の祝福を信じてレバーを握り、思い切ってぐるりと左に回す。

と同時に床下からぶるんと唸るような響きが伝わってきて、桟橋との接続が外れるがちゃりという音がした。そしてバスは滑らかに前進を始める。

多分もう出来ることは何も無い。改めて長椅子に腰を下ろした私は、遠ざかってゆくテントや流れる砂丘を眺めた。気がつくともう太陽はかなり傾いていて、バスが向かう地平線は茜に染まり始めている。

クレアは無事だろうか? そしてお父さんは、私たちが居なくなってとても心配しているだろう。もしもこのまま私たちが帰れなければ、お父さんは今度こそ本当にひとりぼっちになってしまう。

お料理なんてしているのを見たことが無いお父さん。私が帰れなかったらきっと餓死してしまうんじゃないかな? そんな取り留めの無いことをぼんやりと考えていた私は、沈む夕陽のなかに何かを見たような気がして目を細めた。

小さな山のような黒い影。いや違う。あれは森だ。私を乗せたバスはその森に向かって飛んでいるらしい。森はどんどん近づいてきて、張り出した枝やこんもりとした葉のかたまりまで見えてきた。

でも何か変だ。どこがどうおかしいのか上手く言えないのだけれど、何かが普通の森と違う気がする。その答えはバスが森に入るとすぐに明かされた。

神殿の列柱のように立ち並ぶ白く滑らかな樹木。でもちょっと見上げると、それが木ではないことが分かる。遥か頭上で枝分かれした幹の先端には丸い傘のようなものがついていて、その下側はアーティチョークのようにぎっしりと折り畳まれたひだで覆われている。

これはきっと茸だ! とてつもなく大きく成長した巨木のような茸! そして窓から下を見下ろした私に、更なる驚きが待っていた。

一面の茸! しかもみんな小屋のような大きさだ。茶色いのや白いの、丸いのや細長い茸がびっしりと生えている。

そして巨木のような茸の傘から雪のように舞い落ちている青白く光る胞子が、薄闇に包まれたそれらを仄かに照らし出し、信じられないほど幻想的で美しい光景を作り出しているのだ。

私は窓に額を押し付け、その景色に夢中になった。気がつくとバスはだいぶ速度を落としていて、少しずつ高度を上げているみたいだ。この森に停車するんだろうか。でも停車するんなら下りなきゃいけないんじゃない?

だけど、そんな疑問はすぐに吹き飛んでしまった。巨木のような茸が枝分かれしている部分に引っかかるようにして建っている不思議な建物が、遥か森の奥に見えてきたからだ。

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