私はいつも考えていた。
目に見えるものだけが全てなのかって。
人間が見ているものなんて世界のほんのちょっとで、
本当は無限の世界が広がっているんじゃないかってね。
あの夏に起こった出来事は、それが妄想なんかじゃないって教えてくれた。
でも今思うと、あれは始まりに過ぎなかったのだけれど。
お父さんは、私と妹のクレアがお母さんの死をとても悲しんでいるのを見て、田舎に引越すことを決めた。でも本当は知っている。いちばん悲しいのはお父さんなんだってこと。
お母さんと出会った街を、お母さんと歩いた街を、お父さんはもう一人で歩くことが耐えられなかったんだ。
私は14、クレアはまだ8歳だけれど、そんなお父さんの気持ちは良く分かっていた。男の人はそういうことを隠すのが苦手なんだってお母さんはよく話してたな。
お父さんに言わせると味があるという、20年前には最新型の自動車に乗って丸一日。おしりがすっかり硬くなってしまった頃、新しい家が見えてきた。
深い森と緩やかな窪地に囲まれた3人には少し大き過ぎる家で、建てられたのはもう150年も昔のことらしい。
古いモノが好きなお父さんの性格は、私たち姉妹にしっかり受け継がれていたようだ。何故なら私たち姉妹は一目見てすぐにこの家が気に入ってしまったからだ。
「ジェシカ、鍵を開けておいてくれ。私は車を入れてくるから」
お父さんから鍵を受け取ると、私とクレアは車から飛び下りた。
一応手入れはされているようだったけれども庭はジャングルのようで、色褪せたレンガ敷きの道は苔でフワフワ、木の根でボコボコだった。更にその上を夏の日差しに力を得た蔦が縦横無尽に這い回っているので、もう手に負えない。
「うわっ、これすっごいねぇ。気を付けてねクレア」
私はグラグラするレンガに足を取られそうになっているクレアに注意したのだけれど、遅かったようだ。隣を歩いていたクレアが突然消えて、横の植え込みから、がさぁっという枝が折れる音が聞こえた。
「おねいちゃん! おねいちゃん! おねいちゃん!」
急いで振り向いて、私は思わず吹き出してしまった。だってクレアが体中枝や蔦に絡まって、ひっくり返った亀みたいに暴れてるんだよ? 笑うなって言うのが無理な話。
「ひどいよおねいちゃん! レディーをそんな風に笑うなんて!」
ちっちゃいのに淑女気取りのクレアに私はもっと笑いそうになったけど、それはぎゅっと我慢して妹を助け起こした。
子供の失敗をすごく笑う人がいるけれど、子供には子供なりのプライドがあったんだって、みんな忘れてしまっていると思う。だから私は笑わない。ちょっとだけ笑っちゃったけどね。
「ごめんね。大丈夫?」
「ひどいよもう! あれ? トールが居ない!」
トールっていうのは、クレアのお気に入りのぬいぐるみだ。北欧の妖精トロルのぬいぐるみだからトール。クレアが適当につけた名前なんだけど、なんと同じ北欧の神様と同じ名前なんだ。なんか不思議。
「ほら、ここに居るよ」
植え込みの影に落ちていたトールを渡して、私はクレアの体についた枝や木の葉を払ってあげた。
「うん、きれいになった。痛い所ないよね?」
「おねいちゃん、お母さんみたいだね。」
「そうだよ。お母さん死んじゃったから、私がクレアのお母さんになったんだもん」
私たちは手を握りあって、新しい家の玄関へと急いだ。