〈5.鳥歌う密林〉
快適な建物を一歩出ると、太陽はもうかなり高い位置まで昇っていて、焼け付く日差しが顔を打つ。
私とクレアは本の中から話しかけてきた謎の老人、ウラストの言葉を信じて、島の中央にあるという湖に向かうために内陸へと続く石畳の道を進んだ。
道はしばらく緩やかな登り坂になっていたのだけれど、やがて頂上と思われる場所が見えてきた。円形の台座のような構造物の上に、手擦りやベンチが並べられた見晴し台のような場所だ。
「おねいちゃん早く!」
ちょっと息切れしてきた私を尻目に、クレアは駆け足でその見晴し台に登り、私を急かした。
「ちょ……待ってクレア。お姉ちゃんもうクタクタだよ」
重くなってきた脚をなんとか持ち上げて、最後の難関である見晴し台に続く階段を登り切った私は、もう息が切れて汗びっしょり。
でも、ぐったりと下を向いていた顔を少し上げてみると、クレアが私を急かした理由が分かった。
ここは多分、この島の中でいちばん高い場所なのだろう。見晴し台からは一面に広がる緑の森林を望むことができ、ぐるっと見渡してみると私が難儀した茸の森や砂の海、切り立った断崖や岩場などが一望できる。
そして広がる緑の絨毯の中央には、青い空を反射して鏡のように光る大きな丸い湖が見えていた。あれが老人が言っていた<レスト転送機>があるという湖に違いない。
私たちは素晴らしい景色をたっぷりと楽しんだ。出来れば涼しい風が吹き抜けるこの高台でしばらくお昼寝でもしたい気分。
だけどそんなにのんびりともしていられない。湖までの道はまだ長くて、その道はとても険しいもののように見えたからだ。
最後の名残りを惜しみながら目を閉じて深呼吸してから、私たちは広大な森林へと続く石段を下り始めた。
今までは植物や生き物の気配が全く感じられないゴツゴツとした岩場が続いていたけれど、しばらく下って行くと徐々にサボテンのような多肉植物や羊歯が現れ、周囲の景色が変わってくる。
一時間ほど下った頃には、私たちの周りには鬱蒼とした森が迫っており、微かに湿った風が緩やかに木々の間を流れていた。
天を貫くようにして伸びる信じられないくらい大きな樹木が立ち並び、その樹木の樹皮にも様々な見知らぬ植物が勝手に住み着いている。足元は羊歯の茂みで地面が見えないほどで、石畳の道も半分ほどが覆われて見えない。
と、そのとき、あまりの森の深さに圧倒されて呆然としていた私たちの頭の上を、何かがふっと横切った。続いて澄んだ笛のような音が木々の間に響く。鳥だ!
この世界に迷い込んでから初めて、私は自分たち以外の動物の存在を確認してとっても嬉しくなった。最初に響いた鳥の鳴き声に応えるかのように、森の奥からは次々と様々な鳥の鳴き声が響き、耳を澄ませば微かに虫の鳴き声も聞こえる。
鳥たちの楽園をぶち壊しにしないように、私たちはひっそりと囁きあいながら森の奥へと進んだ。
人の手がほとんど入っていない自然の中へと入って行くと、つい興奮して感嘆の声を上げたり、走り回ったりする人が多いけれど、私はそういうのはちょっと違うと思っている。なぜならそこは人間の世界ではなく、そこに住む動物や植物たちの世界だからだ。
実を言うとこれは、亡くなったお母さんの口癖だった。公園に行ったり森を散策しているとき、お母さんは誰に向かってというのではなく独り言のようにこのようなことを言っていた。
そうやって懐かしいお母さんとの思い出をいろいろと思い返しながら静かに歩いて行くうちに森は更に深さを増し、昼間だというのに夜明け前のような暗さになっていた。
うっすらと漂う靄が足元を包み、鳥の声もあまり目立っては聞こえなくなってくる。どちらかというと自分の方が前に立ってどんどん森を進んでいたクレアも、辺りの気配に気圧されていつの間にか私の横にぴったりと寄り添い、しっかりと手を握ってきていた。
「だいじょうぶだよ、クレア」
私は自分でも確信が持てないままクレアに微笑みかけ、小さな手を握り返した。でもひょっとしたらそれは、自分を励ますための言葉だったのかもしれない。
今までは考えてもいなかったけれど、鳥がいるということはそれを狩る獣がいたり、更にその捕食者を狩る大きな肉食獣がいてもおかしくはないってことだ。
そんな悪い想像に身を震わせそうになりががらも、妹には悟られまいと我慢していた私だったが、ふと足の裏になにかを感じてビクッと立ち止まった。
「おねいちゃん?」
不安そうに見上げるクレアに向かって唇の前で人差し指を立て、私は耳を澄ませた。なにかが聞こえる、というより地面から振動のようなものが伝わってくる。クレアもそれに気が付いたようで、私の腰にしがみついた。
その振動は5秒くらいの間隔を置いて響いてきて、しかもどんどん強くなってきている。考えたくはないけれど、ひょっとしたらこれは……。
最悪の状況を想像しかけたそのとき、森に立ち並ぶ巨木の間から靄に霞む巨大な深緑色の影が姿を現した。