〈2.夢と眠る娘〉

目が覚めると頭上に灯っていた灯台の明かりは消えており、窓から見える空は薄紫色に染まっていた。

せっかく奥にベッドがあったというのに、ソファで眠ってしまったみたい。ソファーから立ち上がり、変な姿勢のせいで硬くなった身体を背伸びしてほぐす。

ベッドに入ってもう少し眠りたいところだけれど、そうも言っていられない。クレアが向かった先、崖の上に見えた建物を目指して少しでも早く辿り着いてあげなければ。

靴の中に入り込んだ砂を叩き出し、適当に髪を整えて室内を見回すと、ベッドのある小部屋とこちら側を仕切るぼろぼろのカーテンの横に、薄暗い戸口が見える。昨日は暗くなりかけていて気がつかなかったみたいだ。

戸口を覗き込んでみると、岩をくり抜いただけの狭い通路が続いていた。崖側の壁には所々明かり取りのための窓が口を開けていて少しは明るいようだけれど、まだ太陽が昇りきっていないので薄暗く、不気味な雰囲気が漂っている。

私はコートのポケットにねじ込んでおいたランプを取り出し、紫色の光に少しだけほっとしながら戸口の中へと足を踏み入れた。

通路は緩い上り坂になっており、坂がきつい場所になると階段になっている場所もある。正直言って階段はもううんざりだけれど、我慢するしかない。

そうやってしばらく登っていくと、不意に前のほうが明るくなってきた。崖の上に出たのだろうか? 少しだけ足を速めて光の方に向かうと、目の前に四角く切り取られた青い空が見えてきた。

眩しさに目元を押さえながら外に出ると、そこは崖の突端に作られた展望台のような場所で、崩れかけた手擦りの向こう側には青い空とオレンジ色の砂が果てしなく何処までも広がっている。

夜明け直後だというのに砂の海は太陽に熱く焼かれていて陽炎が立っていたが、その上を渡ってやってくる風は不思議とひんやりとしていて気持ちがいい。

そして崖の下を見下ろしていた私は、いま自分が立っている展望台が、崖から突き出した建物の一部であることに気付いた。

手擦りから身を乗り出して見てみると、滑らかに整えられた崖の壁面から、スレートが貼られた屋根や緑が茂るテラスが見える。きっとここが、崖の底から見えた建物だ。

私は下へと続く道を探して辺りを見回した。きっとクレアはこの建物の中に居て、寂しい思いをしているに違いない。一刻も早く抱きしめてあげたかった。

しかし、ここから見える場所に、下へと向かう道は無いようだ。あるのは内陸のほうへと向かう整備された道と、崖に沿って続く道と言えば道に見える岩場だけ。

自然と楽そうな道に足を進めかけていた私は、足の裏に何かを感じて立ち止まった。見ると円形をした展望台の床の中央に、鏡のように磨き上げられた金属のリングに収まった青い水晶が光っている。なにかのスイッチだろうか?

この世界に来てから色々なスイッチの類いを目にしてきたけれど、どうやら何かを作動させるためのスイッチには青が使われているようだと私は徐々に気づき始めていた。

屈み込んで水晶に指を添え、ゆっくりと押してみる。水晶はずりっという岩が擦れるような音とともに、手首がすっぽりと入ってしまうほど沈み込み、続いてバネが弾けるようなパチンという音が響く。

そして次の瞬間、私は何の変哲も無い床に仕込まれた精巧かつ大掛かりな仕掛けにびっくりして声を上げた。円形の床の半分ほどが徐々に沈み始め、やがて数十の扇型の石材に分かれて螺旋階段を作り出したのだ。

本当にこの世界に散りばめられた仕掛けの数々には驚かされるばかりだ。でも、何のためにこんな複雑な仕掛けが必要だったんだろう。まるで、外から訪れた者を拒んで追い返そうとでもしているようだ。

微かな疑問を抱きながら、私は開かれた道に入り込んだ。また暗い地下の世界に入るのかなと思っていたが、意外にも螺旋階段はすぐに終わり、窓から差し込む日差しが眩しい白い部屋が目の前に現れた。

そこには家具のようなものは一切無く、滑らかに削られた岩の壁の表面には白い漆喰が塗られ、絡み合う枝のような窓枠にはめ込まれたガラスの向こう側には、見たこともない形の葉を茂らせる植え込みが緑色に輝いている。

そして、窓に向かって左側には下へと続く階段、右側には薄暗い通路が続いているのが見えた。多分、右側に続いている通路がクレアが歩いていた場所に繋がっているのかもしれない。

「クレア!」
私は大きな声で呼びかけてみた。だけれど妹からの返事は無く、自分の声が延々と木霊するだけ。

本当にクレアはここに来ているんだろうか。少し不安になってきた私は、早足で下に向かう階段を降りた。だがそこにもクレアの姿は無く、上と同じような部屋があるだけだ。違うことといえば窓の右側に通路がないことと、窓辺に布が掛けられた椅子が一脚あることくらいだ。

「クレア!」
私は再び叫びながら、更に下へと階段を駆け降りた。今度の部屋には今までとは違ってかなり多くの家具や雑貨などが残されていた。

窓辺には大きくて頑丈そうなテーブルが置かれ、その上には本や地球儀のようなもの、羽根ペンとインクの瓶などが置かれている。

そして窓と反対側の壁際にある本棚には、たくさんの本が天井ぎりぎりまで詰め込まれていて、入り切らない本が無造作に床に積み重ねてあった。

さらに部屋の奥には、天幕が張られたベッドや陶器の水瓶なども置き去りになっている。本当に、いつ住人が帰ってきても不思議じゃない雰囲気だ。

本棚のある部屋

「クレア! いるの?」
再び声を上げて更に下へと進もうとした私は、階段の入口を塞ぐでっかい南京錠が取り付けられたドアを見て立ち止まった。

スイッチや仕掛けなら、がんばれば開けられるかもしれない。でもこれだけしっかりと鍵が掛けられていてはどうしようもない。

私は諦めて雑然とした部屋に向き直った。ひょっとしたら、クレアはまだここには辿り着いていないのかもしれない。きっと途中で疲れて休んでいるんだ。

珍しい本や雑貨をいじりながら部屋の中を歩き回り、私は気持ちを落ち着かせようとした。と、そのとき、何気なくベッドに目を向けた私は、今までの不安な気持ちを吹き飛ばされた。

滑らかに白く透ける天幕の中に、日向で丸くなっている猫のように眠るクレアの姿を見つけたからだ。

緊張が解けたのと、何も知らずに眠る妹の姿が何故だかとっても可笑しくて、私は床に座り込んで息が苦しくなるほど笑い転げた。

眠るクレア