〈2.二人の老人〉
長い螺旋階段を上って辿り着いたその部屋は、天井がガラス張りになっていてとても明るく、清潔な印象だった。
円形の壁に沿ってベッドや棚、調理台を兼ねたストーブなどが置かれ、ここだけである程度の生活を営むことが出来そうだ。
だけど今まで見てきた他の住居と同じように、ここも長いこと人に使われたようには見えない。本当にある日突然、荷物をまとめる暇もなく旅立ってしまったような感じ。
私とクレアは部屋の中をうろついて何か役に立つものは無いかと物色しはじめた。天体望遠鏡でまだ明るい空を見ようとした妹を慌てて止めたりしながら探し続けていると、部屋の中央に立つ奇妙な円筒形の台のようなものの上に置かれたものが目を引く。
それは支柱に支えられた丸い鳥籠のようなもので、球状に組まれた格子のてっぺんに青い水晶がはめ込まれている器械だ。
そしてその横には、ひと言『訪問者へ』と書かれたメモが添えられている。この器械は私たちのように迷い込んだ人間への贈り物なのだろうか?
今までの経験から考えて、この器械についている青い水晶も多分なにかのスイッチだ。私は何が起こってもいいように妹を呼び寄せてから、水晶の上に指を添えた。
すると格子の中央がぼんやりと青白く輝き、やがてその光が何かを形作りはじめる。どうやら今私たちが居るこの部屋に立つ、白髪の老人の映像みたいだ。
ぱっと見どこにでもいるおじいちゃんだったけど、鋭く光る目は若い狩人のようでとても精悍な感じがする。その老人はこちらに歩み寄り、ゆっくりと話し始めた。
『私はウラスト。かつてこの世界に暮らしていた者だ。もう既にこの世界へ繋がる本は全て破壊され、残るは私が持つ一冊だけとなった』
そう言って光の中の老人は、手に持った本を差し出した。それを見て私とクレアはあっと声を上げる。そう。その本は間違いなく、私たちをこの世界に送り込んだあの本だったのだ。
それに老人はウラストと名乗っているが、本の中に閉じ込められて助けを求めていたあのウラストとは明らかに別人だった。
『君がこの世界とレストについて知った上でここに来たのなら、今すぐにレストを開いて立ち去ることを勧める。なぜならばこの世界はとても不安定な状態にあり、いつ崩壊しても不思議ではないからだ。
『もし君が何も知らずに迷い来み、レスト……君が触れた本のことだが。それをいま手にしていない場合、面倒なことになってくる』
そこから先は、本の中の老人に聞いた話とだいたい同じだった。ただ、最後に語ったひと言が、私の頭をかなり混乱させた。
『そして、これは天文学的な偶然が重ならないとあり得ないことだとは思うが……もし私と同じくらいの年格好の老人が閉じ込められている本を見つけても、決して彼を助けようとはしないで欲しい。
『彼、ベクヘスはこの世界を崩壊に向かわせた張本人であり、そのため本の中に閉じ込められたのだ。
『では、君の幸運を祈っている。もしも崖を渡る道が分からないのであれば、棚にある赤い革表紙の手帳と壁の絵が助けになるだろう』
ここまで語り終えると、器械は光を失って沈黙してしまった。私とクレアは顔を見合わせてしばらく考え込んだ。多分、考えている事は同じだと思う。
光の中に現れた男性は自分をウラストと名乗ったが、それはあの閉じ込められた老人の名と同じだ。でも今の話によると、閉じ込められたのは老人が裏切り者と語ったベクヘスという男だということになっている。
つまり二人のウラストと名乗る人物が、まったく逆のことを語っているのだ。どちらかが嘘をついているのだろう。
私の心は本に閉じ込められていたウラストを助けようとするほうに傾いていたのだけれど、ここにきてどうしたら良いか分からなくなってきてしまった。
だけど今は、両方の言葉から役に立つ言葉を拾い集めて行動するしかない。私たちはとりあえず今語られた<赤い革表紙の手帳>を見つけるために本棚に向かった。
棚の前に立つと、手帳はすぐに見つかった。長い時間森を歩いて疲れていた私たちはベッドに腰掛け手帳を開く。
その手帳は、何かを観察した過程を記した日誌のようだった。少し読み進めてみると、どうやら私たちの行く手を遮った崖を日々観察し、その変化を書き留めているらしい。
『裂け目は日増しに大きくなっている。裂け目の奥を観測すると波打つ虚無が見え、もはやリャナナーンの崩壊は避けられないかもしれない。
『今まで補修を重ねてなんとか持ちこたえてきた湖からの送水管も昨日の夜に落ち、崩壊を防ぐ力を生み出していたこの施設も無用の長物になった。
森に住む巨獣によって落とされ、崖の中腹に再建された橋は自然の気まぐれによって保たれているが、これもいつまで持つか分からない』
やはりこの世界が崩壊に向かっているというのは本当の事みたいだ。崖のように見えたものは、実は世界に出来た裂け目で、いつそこから世界が崩壊してしまっても不思議ではない状態だったらしい。
崩壊が止められないと知った人々はこの世界を捨て、別の世界へと旅立ったのだろうか。私たちは日誌に隠された秘密を探すため、更にページをめくった。