〈5.裂け目の橋〉
美しい水中の庭園を抜け、遠くぼおっと見える光へと私たちは歩いていった。人が作った明かりはここには無かったけれど、白く滑らかな壁が優しく外界の光を運び、足元が危なくない程度には辺りを照らしてくれている。
殺風景な通路は私たちの足音を何倍にも強くして跳ね返し、木霊させて異国の打楽器のような音色を奏でていたが、不意にその音色がぴしゃっという水音に変わった。どうやらどこからか水が滲み出し、通路を水浸しにしているらしい。
霧の中を歩いているみたいな湿度の高さが感じられるようになり、私の長い髪はその湿気でうっすらと湿ってきた。それと同時にもわっとした蒸し暑さも加わり、その不快感は息苦しいほどだ。
加えて湿気に力を与えられたらしい木の根や苔などが床と壁を覆い始め、涼しく清潔な印象だった通路は、あっという間に熱帯雨林に二千年くらい眠っていた古代遺跡の通路のような、居心地が悪く危険な状態になってきた。
クレアの手を引き、魔境への入口のように様変わりしてきた通路を慎重に進んでいくと、辺りの明るさは次第に強くなり、やがて前方に外へと続く戸口がぽっかりと口を開けて待っているのが見えてくる。
不快な湿気は変わらないとしても、この狭く危険な通路よりずっとましだ。私たちは自分たちでも意識しないうちに足を速めて最後の数メートルを歩き、闇に慣れた目には痛いほど明るい外の世界へと脱出した。
まず感じたのは、身体にまとわりついた湿気を吹き払ってくれる風。続いて目が慣れてくると、自分たちがいる場所が分かってきた。
ここは谷間というには少し狭い、裂け目のような場所の中腹で、目の前には反対側の崖へと続く白い石橋が架けられている。
上の建物にあった日誌には、崖の中腹に再建された橋は自然の気まぐれによって保たれていると書かれていたけれど、正直言ってそれがどういう状況なのか私には分からなかった。
だけど、今ならそれがはっきりと分かる。橋はところどころひび割れ、傾き、波打っているのだけれど、崖から伸びた太い木の根がしっかりと絡み付き、苔や降り積もって乾いた泥が、モルタルのようにそれを補強しているんだ。
私は自然の建築士の仕事の素晴らしさにしばらく目を離せずに橋を見つめていた。だがクレアがスキップを踏みながらその橋へと楽しげに向かう姿に気付き、慌てて駆け出して彼女の手を握って引き止めた。
「なにしてるの! 橋が落っこちちゃったらどうするの!」
そう。いくら自然の力が素晴らしいといっても、それを信じ切ってしまうっていうのはとても危ないことだ。
ひょっとしたらこの橋は絶妙のバランスで保たれているだけかもしれず、一歩踏み出した瞬間に崩れ去ってしまうかもしれない。
と、慌て叫んでクレアの手を握ったそのとき、何かとても嫌な予感が胸を包んだ。何かある。絶対だ。街育ちの私にもちょびっとだけ残っているらしい動物の部分が、危険を知らせている。
不審そうに見上げる妹に目で合図し、ゆっくりと今出てきたばかりの通路へと歩き出す。通路の床の水溜まりに足を踏み入れようかという、まさにその瞬間。突然谷間に轟音が鳴り響き、私は咄嗟にクレアを抱いて通路の奥に身を投げ出した。
今までに経験したことのないような音。大地が引き裂かれるような岩の軋みと大気を揺らす振動、そして舞い上がる砂塵が全てを包み、私たちはそのあまりの凄まじさにただ通路の床に転がってしっかりと抱き合うだけで、悲鳴を上げることすらできなかった。